神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

本霊中心の信仰

我が心の中をよくよく調べて見ますと、何かにこだわったものを執拗の思っていることが解ります。

そして自分の心に、自問自答し、それが善くない事であることが解れば、自分の心に「止めよ!」と命じ、思う事を止めさせなければいけません。

しかし大半のものは云うことを聞かず、止める事もなく又以前と同じ事をしてしまいます。

同じ事を繰り返して進歩向上がなく、仕方なく自分を騙しながら生きています。

前世より持ち越している悪い癖で、同じような失敗をして、自分自身を悩ましています。

それで、神様からお力を頂いて身魂を浄めて行かないと、自分ではどうしようもありません。

霊的の修行、勉強はまず、自分の心を支配するものは何なのか。と云う事から始められるのです。

天授の真理によりますと、「神様から神聖を戴けると、己の心の中の隅々まで見ることができる」と教えられるのです。

本霊中心の信仰とする処は、神様から信仰を認められ、神聖を我が霊魂に授けて頂くことにあります。

 

「無垣」とは

昭和50年7月16日、我が師司師より、修行が終了した事を認められ、私の守護神に名前を頂きました。

それが「無垣吾子彦」です。

無垣とは、心の垣根のない自由性を持っている事と、吾の子と云う意味です。

人はそれぞれの障壁を自分自身で作り、それが為に多くの幸せとなるべくき道を自分で疎外しています。

己の本心を騙し、人の心を騙し、数多くの囚われの心の垣を作って、幸せとなる入口まで閉鎖してしまっているため、良い人生を作れないのです。

自分が変わらないといけないのです。

世の中のせいとか、他人のせいではないのです。

 

 

 

 

宗教

宗教は本来、世のため人のためにあります。

悪の蔓延する世の中で、宗教といえどもよく見定めてないと、人を騙して金を掠め取る様な詐欺宗団や、目的達成のために罰や祟りが出ると脅しを掛ける宗教も出現しています。

迷信や狂信の人間を大量生産している宗教もあります。

神と名を付けられて居ても、人の哲学が作ったものであったり、動物霊が支配しているのが多く存在します。

正しい神様は、罰を当てたり祟ったりしません。

正しい教えは、ものの真相を知る信仰を云います。

 

霊の元の神様の教えに、仏教用語やキリスト教用語を使用するのは

本来、霊の元の神様の教えは、文献等では伝えられておらず、全ては不言無為のものです。

言葉で伝えるよりも行動でしめされていた教えでありました。

その学び方も師や親の行いの中から自ら学び取るものでした。

親の背中を見て育つ様なものでした。

現代の様に「聞かんとわからん」「言わんとわからん」ではなく、「一を聞けば十を悟れ」ばかりの師の云わんとするものの先を読み取れ式だったのでした。

従来の神道では、祭式や祭典ばかりで、教えを立てていなかった事で、教えの方では、仏教やキリスト教の方が上手に説かれています。

今までに現れてない、真実の神様の教えなのですから、その表現方法に苦労されています。それで、外来宗教の用語を使うより仕方がありませんでした。

信仰の目的とするところは、実在する神様や霊界を第一に認め、それを人々に伝える事です。

内容を如何にして伝え、理解して頂けるかが、大切な事です。

 

私達は如何に生きればよいか

神人が帰天された後の信仰は、神意に寄って現世に残された御神書、即ち文字となった神様を手本として学び、自己の腹の中にある本霊様の声によって行動して行くことです。

神徳の高い人物は、自分の本霊が教えて下さる様になっているのですから、その勘の狂いの無い様、正しい信仰力を養っていて下さい。

立派に信仰をしていますと、自分の師となる人物を神様から教えて下さる事もあります。

注意しなければならんのは、理屈や口だけの盲の聖者に騙されん事です。

学校教育と精霊の教育の二通り勉強してこそ、真の人間らしい人間と云われるものです。

元の日本の神様とは

霊の元の神様とは、元日本人の霊魂の親神を意味します。

少なくとも5千年以前からこの国を守られている神様の事です。

この神様を国土神と申し上げ、真に平和を愛され、渡来人の無理な要求にも闘いを避けられ、要求のままを聞かれて、その神にこの国の行く末を任されて、時を待たれていた神様です。

伊勢の神様と申しますと、皇祖高崇の神であり、御皇室の御先祖様であります。

出雲の神様と申しますと、臣民の神であり、国民大衆の御先祖様であります。

伊勢の神は父神であり、霊学的には変性男子の神と申しまして厳(いづ)の御霊の神と申し上げます。

出雲の神は母神であり、霊学的には変性女子の神と申しまして瑞(みず)の御霊の神と申し上げます。

この厳瑞二神の両得を持たれる神様を伊都能売之大神様(いずのめのおおかみさま)と申し上げます。

この神様を心から信じ真剣に祈られる人達の真心には、すぐに応じられ答えられる神様です。

霊的信仰とは

従来されてきた信仰は、自然的信仰であったと云えます。

自然的信仰とは、物や形に重点を置き、外分的な欲望を叶えてもらうためのものが中心とされていました。

各教団の本部は大きな敷地に大きな殿堂造りすることが重要視されていました。

また、そこに居る偉い方々も立派な衣装を着けて、おごそかに話されるので、全てを外見から発想して判断しがちなものなのです。

大切な事は内面、内容です。

如何なる御神徳を神様から戴かれているかと云う霊的な内容(神のお光り)を伝えているかなのです。

昔の宗教の修行と云うのは、寒い時に水を被って見たり、断食や好きな事を我慢したり、神様から頂いた身体をいじめたり、傷つけたりしていました。

この様な欲を絶つ修行では、また同じ事をしてしまい、不自然な人格を作ってしまいます。