神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

神の道と教団 3

・宗団や組織の名によって御用を進めるのではない。自分の名と責任によって御用を進めるのです。信仰により自分の経験に基づいて、神の教えを自分のものにした事を堂々と伝えてもらいたい。国民一人一人がそれぞれの自分の霊性を開発していくようにするのです。

・ここの信仰者として籍を置いて信仰するのはよいが、ここに囚われないようにやってもらいたい。神の教え(三冊の神書)に基づいて熱心にやってもらえればよい。

・要は自分の体得した信仰を如何様に活かして行くかが大切です。このお道は、自湧的に求めてもらいたい。救われると云うのは自分の理解力が自分を救うのです。教団組織が人を救うのではないのです。

・自己の所属する教団(組織)のみに囚われてしまった宗教、そして教団の名を出すだけのための信仰をしてはいけない。宗団組織が発展するよりも信仰される人、その人がよくなってもらいたい。

・自らその教団に囚われない人は、ご神徳を頂ける様になっている。組織に囚われている人は霊徳を頂くことは出来ません。

・神様に対して誠を立て貫いていますと、自分の人生に小躍りするような善い事が起こって来ます。

・これからは、神様の御神徳を全て開放して行くのです。(真実の道では)今迄の教団では「全て吾が宗のみ良し」として、尊い事を隠していました。

神の道と教団 2

・自分の心が清らかであり、神心となっていて尊い事に励んでいないと、神の救いに浴する事はない。

・本当の智恵とか尊い理解は、神様がお守り下さり、そして内流を流してもらわないと良くなれない。

・「解らん、解らん」とよく云うのは、自分の考え方基々違っているから解らんのです。

・天地の大神様の御神徳を知らずして、信仰は解りません。国民全体が神の道を知らずして、外国に対して肝とした力を持てないのです。

尊い信仰力を国民大衆の腹の中に入れて、何処からの国からどんなことを申されても、だまされたり、やられることのない力強いものを作って置かんといけないのです。

・政治をする以上は立てるべきもの(神様)を立て、守るべき(道)を守ってやってもらいたい。

・ここは教団ではありません。国民大衆を善くする為の道場です。これから先の時代は教団等作った処で、何の役にもたたん時代となって来ます。

・お道を開く事は、一人では出来ません。皆さん一つとなって行かんと出来ない事です。

・私は唯。神様の申されていることを皆さんにお取次ぎしているだけのことです。

・惟神の道は太古の神々が実践していた道です。だからこの時代には尊いお力(神力)を発揮されていたのです。

・世界に在る宗教で一番、霊的な力を発揮出来る宗教は、惟神の道です。仏教やキリスト教よりズーと上のものです。

・真実の神の教えに「楽して得取る」式のものはありません。苦労することは当たり前と思っていなさい。そうすると、真実の喜びのお蔭を頂けるのです。

 

神の道と教団 1

この教えは教団の教えではない。尊い日本人として、又日本の国民大衆として資格を失わない様にさせてもらう為の教えです。

・今までの教団では、教団の教祖の娘や息子にばかりさせ、有能な弟子達に教えの責任を任せていない。こんなことではいかんのです。

・神の道の継続は大変難しい。神界の事は全て二つ玉の御用となっていて、一人の者が失敗すると、次の者がその人に代わって御用出来る様に用意されています。

・神様事に仕えるには這う様な気持ちでお仕えしていないといけません。神様事には一つの気許しも出来ません。

・霊界に居る宗教団体の精霊の状態を見ていると、現世に於いて道を開いている教団のレベルや善し悪し等がハッキリと解ります。

・直弟子と云うのは、永遠にその者の名前が残される。それは、人様のお手本となるからである。

・「自分の運命を開くのは、自分しかいない」と云う決意が自らの運命を打開して行くことが出来る。

・精神のレベルの高い者に、神様は尊い御用にお使い下さる。

・見真実行者は、教団を作れぬことになっているが、永い間の日本人の心に中には、どうしても教団的な習慣に慣れたものがあって、その執れにも合わす為に少しは教団に似た様な組織にもしているが、目的とする処は人を良くする為である。

・教団を作り、学校を建てて人を教育していても、その教えの中に天授の真理が含まれていないと、本当人物が作れないのです。

神様 21

・神意に添った人生を過ごしていますと、神様が尊い事を教えて下さいます。大国主之命様の事を瑞霊神と申し上げる。この神は地上では一番偉いお方の神様です。

・神様は「これからは誠の花を咲かせ、仇花を咲かすのではない」と、苦労の花を咲かせと申されている。

・神様からお御蔭とは別に眼にみえたものばかりではありません。まづ眼に見えないもの(霊的)から立派にとさせてもらわんといかんのです。

・神様は、信仰者の気持ちが良くまとまって来ると二段、三段と幕を開かれて行かれるのです。

・神様から頂けるお蔭は一つもエコヒイキや特別のものはありません。全てそれぞれの心通りのものとして下される様になっています。

・神の道とは「惟神の道」のことです。国が上手に治まるのも、惟神の道に依って出来るのです。

・「凡庸の道」をやっていると徹底した立派な人物が出来上がる様になっている。

・動物には理想がない、本霊がない。

 

神様 20

・事代主之命様じゃーと申しても、今迄に絵書かれている様な御姿ではなく、実際は全然違う。実際の事代様はもっと凛としてお若い御顔をされている。

・絵に書かれているお姿は、事代様の願望を示されている。釣り竿を持たれ、脇に鯛を持たれているのは、貴方が神に願いを届けたい(聞いてもらいたい)ならば、まづ神の云うことを「聞いてもらいたい」そうならばお前の願いを叶えてやろうと示されているのです。

・又、事代様の釣り針は真直ぐで、まがってないので、余程、針をシッカリ掴んでいないと、神に釣り上げ(救って)もらえない事を示されています。

・事代主之命様は全国総産土之神様であり、産土神の総大将さんです。ですから全国の産土神が応援して下さるのです。

・事代主之命様は、この様な尊い御力を持たれた神様でありますから、天地の大建替の御用にお仕えなされています。

・御先祖様方の救いについては、土地の産土神に働いて下さいませんと如何にもならんのです。

・地方に行けば別に神社の前迄行かなくても、その方向に向かってお祈りしておくとよい。

・何処の教団であっても、その土地の産土神の御力徳によって働かせているのです。

・言葉に気を付けなさい。神に反抗すると霊界で裁かれます。

・日本の国民はチョットでもよいから、国土之大神様の御心の程を知ってもらいたい。

神様 19

・これからの考え方を四魂成就説と云って、伊都能売の心の働きを云う。

・信仰の目的とする処は、四魂を円満に活用する心の働きを養成することにある。

・神様から誉められるぐらいの人間になってこそ、初めて衣、食、住、案じわずらう事なかれの生活をさせてもらえるのである。

・瑞霊神とは主として大国主之命様のことを云う。この神様は私の辛い人生を送っている事をよく知っていながら、知って知らぬふりをして居られ、そうなさりながらも、大切なころはチャンと教えて下さって修業をさされているのです。

・神様は、「この者にはこういう処を押すと、この様な人生を送りよる」と云うことをよく知られながらの御指導であるから、吾々の人生は、神様の思われる儘のあやつられた人生であると思っておればよいのである。

・人間は全て神様の御加護なくしては、良い人生は作れないものと思っておればよいのである。

無宗教無宗派の紋の無い、無色透明の神(色が付いていない)の教えが天地の始めより日本に伝わっている。日本には大自然の神の教え、大自然の神の教え、大自然の道と云うものががチャンとある。この事を惟神の道を云われて来たのです。

神様 18

・愛情(神愛)を根本とし、人を見て居ると自分を善く云って下さる人、又悪く云う人も、そのまま淡々と報れずに扱うことが出来る。その人達を数年間在リのままに見ていると、その人は自分で下手をされて失敗し、自ら反省されて立派になって来られるのです。

・善くも悪くも人は皆、この世にと修業に生まれて来たのであるから、自ら神の教えを求めて教えを吾ものとして、人生にいかしていかんといけない。

・神の教えを素直に信じる人は良い人生を作ることが出来、又反抗する人は、その人の人生に蹉跌が起こってきて悩む人生を作るだけのことである。この蹉跌が起こって来たとしても何も悲観することはない。大改心をして出直しの人生を作ればよいのです。

・神心とは、唯、何でも人にやりたい。と云う心です。人のものを取り上げる心ではない。

・いたずらに悪を排除せよと云う考え方も狭いし、悪を可愛がる心では、悪が何故悪いのか、と云う事が解らん様になる。善と悪を競争させて少しでも善い事に努力すればよい。

・「仏の善平」も「鬼の権八」も神の眼から見れば皆同じじゃ」と申うされる。仏の善平では、荒魂と奇魂が不足しているし、鬼の権八では、和魂と幸魂が不足している。人は仏の善平の方が好いと思っているがこの考え方も間違っている。