神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

大谷司完翁 説話 ⑲

・天の時と共に、地の利と共に。一番の根本は人の和である。先ず己を改めぬくとこが先決である。根本問題である。

神道、仏教、耶蘇教を見よ。何千年すぎて形だけ大きくなって、天国も浄土となり、教祖の在命中はまず盛んである。しかしその後に神人出ぬから滅ぶ。

・信仰なきはやっぱり末にあかん。

・神様が「お前は五十五にならなきゃ固まらん」と仰せられたが、何、一心にやればそんな事ないと。気張って色々の角度より心したが、やっぱりそうなるらしい。しかし五十五になればガチンとやる。色々心遣ってやるのは、例えば牛肉を食べたいのを我慢して止めては、それは心に残っているのであかんが、本当にあかんと思って止めるのは良いと心して止める式である。心にあるものを出させ、そして一方全てを経験させるものである。

・身体に触らない程度なら少々のことは神は何とも思っておらん。そして失敗しましたと言えば「そうか」と何ともない。大体すべてを見直し聞き直し宜直しの神である。広い心で処すべきである。

・何でも二度三度やり直したらよい。世帯でも私はそう思っている。一度でスカッとした世帯など持てるかい式で、さっさと次の因縁があると心して淡々としてる。

・恩に着せたものは義理に縛られて救いにならぬ。こっそりする。

・善悪不二、白米食って黄色い糞たれる人間に悟れ。真を。人の世に対し自在無碍、縦横無尽の働きをせよ。

・良心も百八十一階級あり。単なる監督者ではない。小心道中締めくくりするだけ、良心に攻められ抜いて、それはあかんと行き詰まる。そこで心は飛躍するのである。心を小さく執らわれると言うことは愚かである。信心して心小さく、世の敗残者になって行くのは皆、この愚である。改めよ。固くては仕事できん。

・神に対して奉りては道を厳守せよ。玉串及献饌の仕方、人を対象にしての心はすべて外聞であって、一切偽善である。

・神、神界、霊界、個定的に存在す。それに交通する。その発生原理は唯心である。

大谷司完翁 説話 ⑱

・大乗は善悪一如。しかし色々思い返して心病む。人が色々していると心苦しむ。そこで小乗行をやらしめる。「ナニ!」と突破できたらよれでよい。気に病むから罪になる。宗教は多分にその傾向がある。阿呆がサラサラ、スイスイ事をを処せる唯一の良道である。心に包んでおくから罪であって、苦しむのである。サラサラ出して行くなら快々である。執われるな。執われるそのものが罪である。人に害さえなければ、何を少々したって何ともない。心するのであかん。喜ぶことなど良い。人に依頼するから執らわれる。良心の命に従いどしどし処すべきである。

・焦ることはない。阿呆になって絵を描きつつ勉強して居たら良い。時期さえ来たら輝き使ってくれる。

・動機が肝心。正直であれ。

・天人の地獄道中、あくまでも現実的に常識に処する事。衣食住、勤労、会計、交際、そして心は超越的に淡々として無着に処す。

・神に精通せざるもの神を語る資格なし。

・人に霊的指導して行くと絶対である。

・精霊を可愛がられると得である。

・神書を頂いていると、霊が開くので良い。

・信仰の基礎固めが第一である。己の心の建て替えが根本であり、肝心である。

・その人の思想を良く汲み取り、一念に生活して行くと良く以て行くものである。何となく救われていると言うことが根本であり永遠の徳である。

大谷司完翁 説話 ⑰

・純理のみ振り回すと。行き詰まる。矛盾を勇敢に呑み込み突破してゆく大器がほしい。

・因縁という事をよく悟ると、小信心ではあかん。恥ずかしい事になる。

・霊的浄化。内心を浄める。高めること。あたり前の善人ではあかん。そんなのは世の中に沢山ある。

・自分が浄まらず悟らずして家族に説教もない。うっかりしたことを話していて、恥ずかしい事になる。

・一生懸命に祈る。教えられる。改められる。祈りである。

・己の感情の喜ぶ、己の都合の良い話などあかん。互いに心せよ。

・レンズは高級品程、曇がない。すべて常識で処すべきである。

・心の儘に処す。そして地獄を造らない。たとえ地獄に落ちたとしても気楽な地獄道中を。

・人生は永い様で短い。人を喜ばせつつ、己は淡々と、特別な欲もなく淡々と処す。

・人に喜ばれることをして死のうよ。

・人にほめられたから、又けなされ悪く言われたからと一つも動じない。そして改めることは改めつつ居る。全て因縁を心しているから心楽である。本心のままにやっている。気楽である。たとえ地獄であっても、気で結構である。

・色即是空・・・目をつぶれば無い。

・空即是色・・・目をあければ在る。

・無より有を生ず。

・現れあるものは、物質要素よりなる。

・思いで現れあるものは、霊的要素で出来ている。

・三界は唯心の現れである。

・神も神界も霊界も心が造る。

 

大谷司完翁 説話 ⑯

・何事も八分目本位に処せ。その現れ方は一見消極的に見えるけれど、これが霊的積極主義である。

・親子の間を通して神の愛をたやすく掴めるが、それは片寄愛になり易い。自分の子、と言うのが一つの執らわれである。

・神の道はよく理解し会得すると共に、実践しなくてはならぬ。それには志せ、志さんから何もならぬのである。必ず成る。

・罪は執らわれの事。心の切り替え足らない。

・師の腰巾着たれ。大人物たれ。男らしくあれ。

・心の目で見る。心の耳で聞く。これ霊眼霊耳の事。

・第一印象が大切である。和やかに接すること。相手の言うことをよく聞いてあげること。

・やはり人は、六十歳に達しなくては、ものにならぬ。

・人生の判断は全て自主、自覚に処すべき。然し神命は絶対である。それが道である。

・霊的生活、道徳生活、文化生活が人生生活の基準である。その様にして執らわれない。超越的に処す。これが悟り救いである。

・道徳的行いと霊的行いは同じであるが心が違う。

・道徳者は「吾れ」を第一に守る。心よりやる(有言実行)

・霊的者は「神」を第一に人を守る。心より成す(不言実行

・親を中心に、大切に仕えよ。

・すべては、心の姿。霊界も又今の生活の展開。

・すべては心のままになる。家が天国の基礎である。

・あるが儘に見よとは現象でなく、人の本心あるが儘に見ると言う。心せよ。

・瑞之大神、地上に降りて居られる。こちらさえ真剣にさえなれば、誰でも霊的たり得る様になっている。有り難い教えである。

・お守りは、自ら神を奉るケイコである。斯くすることに依って神が守るのである。柱にかけることは、心に神が無い時である。心の中にある御守り(良心)を守る。厳重に心処す。これ真の御肌守りである。

大谷司完翁 説話 ⑮

鬼子母神は子供を喰うと言う。子供とは信者の事である。

・信心するのは当たり前の事である。

・良い事をするのも当たり前のことである。

・飛ぶ夢は心の軽さを言う。追いかけられたり飛び降りたりするのはあまり良くない。

・霊界、霊魂の世界を知らずして人間の研究はできない。霊魂の事は一番大切な事である。

・心で懺悔、心をさらけ出す人は得である。

西郷隆盛の心は偉大である。

・妻が従わぬには不徳の致す処と省み、心したり言葉したりする様お祈りすべきである。

・すべて愛に依って成る。徳を磨くべきである。金も又自由自在である。使いたい時に金が廻りくるのは、その人の徳である。そうなるべきである。

・真の朗らかとは、こころの清澄なことである。

・天地には目に見えぬ刑がある。人の目にかからぬ様に、道を外せば夜も眠れぬと言う。心の悶を与えられる。

・本当に磨けた心なら、この世の中程頼もしい処はなくなる。段々頼もしくなる。色々世の中に思っているが、すべては吾心の現れである。

・神は順序を踏み、肚を決め、努力をしている処へお恵みを下される。

・神とは大慈、大慾、大智の方。人は小慾、小恵である。

・神心とは超越心である。

・悩みは外的欲望より沸き起こる(我を望み得られぬところより起こる)然し一面、向上への刺激剤である。心を浄める手段である。だからこの苦労は、為になると思うと大体放してある。

・心を浄めるとは、執らわれをなくすこと。

・人情も又あまり凝ると悪になる。

・救いとは、心の中が浄まり執らわれなくなること。

・奉仕でも凝ると結局、身慾に根ざしている。

・単なる熱心とか奉仕とかと、本当に救われているか如何とは違う。皆大きな取り違いしている。それが証拠に、一人の人が熱心に信仰したが為に妙に固苦しく、それが為に地獄へと落としている人がある。これは見ていて明らかである。

大谷司完翁 説話 ⑭

・人の心一遍に直るものではない。心していたらそれを喜ばれる。

・話のみを聞いて沈滞してしまってる人が多い。

・人は一人ではない。副守護神、正守護神、本守護神三人から五人はいる。

・名前は人生に影響する。

・神がこの者を使おうとする時、中々吾れの思うようにされぬ。色々の目に遭わせ、心練らせる。故に何もせんで行くということも許されぬ。人、ちゃんと決まっている。

・成る様にしか成らん。成る様に成しつつ、スラスラ処してゆく事である。

・過ぎ越しも取り越しも愚。屈託なくやれ。すると神は喜びを与えて下さる。

・神があり、信心している事と、救われる事とは又違う。

・天地は悠々である。惟神である。

・自分でしていることはない。皆お陰である。

・規則をたてると、縛られる。

・恋はしてもよい。何も彼もない心で人を愛す。

・大きな心になれ。その時、そう言ったものになって行く。融通が利く人、大きくなれ。

・人生何か、仕事と成すべき、大きくなれ。

・失敗したらヨーシと反省。反動で立ち上がる。

・天地も又造物さえ矛盾であると理屈言う人があるが、天地はそう言う様になっている。

・「副守護神さえなければ」と言うが、副守があるので本守護神が練れる。過ぎてもいかんが、副守は適当に可愛がってやらねばならん。末へ行けば善悪不二なれど、しかし、全て善を伸ばすものでなくば、進化向上もない。

・人が信じている神のその又上の神が守る。その又上の神もある。

大谷司完翁 説話 ⑬

・釣鐘(神)・綱(道)・木(人)

・人は神によって生きている絶対力である。神懸りに就いても、少し誇っていると神は「お前がかかっているのかへ」と皮肉を言われる。「俺が」と言う我を取るため、寸分も許されない、神の導きである。霊的によく精進しなくてはならぬ。

・物語中に原っぱに座らされて、池の中から声が出て、欠点を言う場面がある。我があるのもは、やめてくれる様に言ったりする。やめると又淋しくなるので又その声を待ってと言う処がある。

・病でも全くお気つけである。心改めればそれだけで治るのが解る。

・霊界に於ける私は実に堂々としているが、現界の人間の私は修行途上。種々ジレンマに落ちている。その時一人なれば捌け口もない。神様に色々不足言うと「お前が好んでやっているのではないか」といわれる。考えてみれば全くその通りであり、天地には何一つ不足言等言うことが出来ぬ。

・必ず救われる、一通りの言はあっても必ず救われる。

・世に落ちている神をお出し申し上げるのみである。

・世の中は全く形式化している。誠心の輝く世ではない。

・信心というものは、全く不思議なお陰がある。

・私も最初、信心したら大丈夫にもなり、味ようなるやろうと懸命努めた。怠けて居たなら仕方もないも。懸命に努めていたが、病はする。失敗はする。恥はかく。解らなかった。ある時、精霊の神が「メグリがあったからじゃ」と申されなる程、だから苦しんだと解った。それから全く都合よくなった。