神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

大谷司完翁 説話 ㉖

・機械も人も生き物である。よく思いやり深く敬い使わなくてはならぬ。故障するのは酷使しているからである。だから、修繕料という罰金取られる。それも、その機械の性能に応じてやる。無理をして歩かせるとダメになる。その機械の命数がある。よく見て油をさすとか、部品を取り換えるとかして、命あるだけその寿命を守ってあげる。愛の心があると自然にようなる。何でも一心になっていると、フッと解らされて必ず成るものである。

・お金でも入って来たのは因縁や。それをクシャクシャにしてやり取りしたのでは、お金が嫌がって逃げていく。お金を可愛がると、喜んで数以上の幸を持ってくる。可愛がるという事は、単なる貯蓄思想とは違う。

・妻も大切に。その人を見抜いて、痒い処へ手の届く様にしてあげると、一生懸命になってくる。大切に仕えてくる。そのままに扱い処す。しかし、因縁がなければ致し方ない。喜び別れるべきである。

・すべてとは言わないが、この神の愛を、智恵を践みゆくと必ず良くなる。そういう様に造られている。この原理は一切に及ぶ。

・使う人も使われる人も同じである。一家がサラリといかぬのも、皆、ランプのホヤを磨かぬからである。

・とにかく短い命である。一生懸命この道を践むべきである。そしたら次の時代に良い処へ生まれさしてくれる。前世の事は忘れさせて下さる。然し磨いてゆくと、何でこうなるのかと言う因縁の一部を一寸知らして下さる。

・因縁を聞くと、アアそうか、無理もないと解ってくる。

・幸福はピョンと現れてくるものではない。やはり心の構えにより、ちゃんと道を践んでいる。ヒョロヒョロしていても原理を践んでいる。原理さえ践んでいたら、どんな時処位にあろうとも必ずのびる。不思議と良くなっていくものである。

大谷司完翁 説話 ㉕

・水晶魂。囚われない。何所へ行っても上げて洗うとサラ心となる。タドン魂や土魂ではあかん。染み込む(囚われる)。水晶魂でも苦労はする。然し心になり、澄んだ心の固い魂を言うのである。

・始めから皆悟っていては、スターばかりで面白くない。又、そう言う人々があって、仕事ができる。然し神は目明きになれと言っている。何故かと言うと、一人一人が天国になるからである。

・信仰していても智恵なきものは救われぬ。先日、相談を受けた。その人はある人の事を力になる仏の様な人だと言う。私は言った。今頃、鉱山に手を出そうと言う人に良い人はいない。心せよと言っておいた。まあ、いいとこ二ヶ月だよ、とも言っておいた。(この見抜く苦労の力が智恵)すると十七日目で、その相手の人を鬼だ、鬼畜だと言ってきた。そして、修行の仕直しをしたいと言う。要するにその人に智恵がないからである。四十七になって、しっかりせんかいと言ってやった。家内が可哀想である。

・あるところでも色々お陰を頂いてやっている。いわゆる、信仰のお陰であって、私の言う様なお陰ではない。例えば、奇麗なれども貰い水で飯を炊いて有難がっているのと、汲めども込めども尽きない井戸水があるのとは違う。

・神の愛の救いは、無制限ではない。無制限なのは太陽のみである。そのわかり(創造主は)、地上の人々の都合には頓着なしである。もう良いと言うのに雨を降らす様に、そこで地上の天人は晴雨兼用の傘を持って行く様にすると大丈夫。これ愛と智恵である。

・智恵なき同情は止めよ。十ある力ならば三つ位出しておけば、相互喜び合って悠々といける。それを八も出して別れている。

大谷司完翁 説話 ㉔

・天の時、地の利、人の和、これが揃わないと何事も成就しないのは、これ天地の鉄則である。

・人の和。全ては人である。人なしで何事もならん。歴史の明かす処皆、人の和により成る。その人の心を汲み大いにやる。

・神の御心は、永遠を相手にしておられる。人の二代や三代とは関係なしにやっておられる。私も拗ねたらまあ怒るな、頼りにならんと申し上げたら、頼りある処まで、お前がなれと申された、色々時期を示されるが漠然としていて、暗示式で中々その時期をいわはらへん。

・宗教に予言や我田引水はつきものである。

・それぞれのその心性、体性に合うよう、水の流れる様に処せ。

・人をよく見て行くべき。情の人はなかなかいない。己本位にしてくてやっているだけである。

・盲人千人、目明き一人と言う。何故かと言うと、目明き(悟った人)になると、騙しにくいからである。然し神は然うなってくれと言われている。一人一人の天国が出来るからである。

・田吾作を守る神は田吾作自身である。人や物や事や時処位に非ず。

・神より授かりある。愛と智恵の力をもって、徳の種をまく、実りは当たり前である。実りを神徳と言うのである。

・善悪ぐらいは六法全書読んだらわかる。四十、五十になって今更出て来て、随喜の涙こぼしているのは、国民学校出たのやろうかと師は笑ってはる。その様な人にはその様にやっている。そして長い事苦労させてはる。そして何や阿呆くさと悟る。それがお陰や。私も囚われていた。それしちゃいかん、あれしちゃいかん、と言うのは、囚われた人には囚われて言うのである。少々の事は何でもない。全て喋るから何でも壊れるのである。観想でも然りである。

大谷司完翁 説話 ㉓

・如何なる手柄をたてようとも、それは自分がしたのではない、と言う事を悟れと強くさとす。

・己れのやり方ではアカンと自覚するだけ、改まって来てるのや。

・一切は、神徳に依って与えあれ成って行くものである。徳さえ付いたら、一人手にものは与えられる。「アラッ!」と言うことが成るのである。

・日本には尊い、皇道原理と言うものがある。それに依りすべてが成って行く。この原理の勉強の為には、何も彼にも一時は放っといても、やるべきである。そしてら不思議と上手に、その人の言う事、思う事、成す事に後よりつくと何とも言えぬ力が加わり、上手く行く。それが神の恵みと言うもの。何か小さな事でも、ものでもしっかり味わっておくべきである。事業と信仰は一つのもの。

・「みろくの世」というのは決して時処位ではない。今であり、心にある。

・一切は諦め、但し仕様がない、と言う執らわれの諦めではなく、会得してこうなっているものであると言う様に、心から道理を会得し、そのままを受け取り諦め処す。明朗諦めである。 

・全ては心の影である。先日、妻さえ一寸変わってくれたら、と言う人がいた。奥さんには又教えるべき点があるとしても、奥さんはこのままで良い。貴方が奥さんをこうや、と思っているその心の思いの影がサーッと映り返って来る。そのままにして、そのままに見て、貴方自身が浄まれば良い。皆心の現れである。

大谷司完翁 説話 ㉒

祝詞は最後の武器である。

・言霊の妙用。言葉は消えるが言霊は伝わる。天地間はそうした一大摂理がある。幾多の体験実例を通して確信する。大いにやって体験を積むべきである。だから貧乏さしたり、色々苦労さしたりするのはちゃんと次の用意をして、祈りとか言霊の力を悟らしめるチャンスを作って下さっているのです。

・すべては天地に依り生活させられる。活躍している人には足らずままで、遊んでいる人に家の与えられるのは、この摂理に依るのである。

・女の教育、旧道徳を超えよ。大抵執着があり、色々の癖がある。色々本当に改めようとするが、一人もない。新と旧を行ったり来たり迷っている。徹底させる為に色々振り回す。これが指導である。女は子を産み立派に育てるべきものがある。

・交合は神秘。荘厳なものである。出産でも神の許しを受け自然なれば常識を超えて老年でも安直なり。

・悩むのはメグリがあるからである。

・サラサラして何もない心地が水晶である。でなきゃ仕事が出来ん。

・お陰や。喜ばんならん。何ともあらへん。夢中になれたら良い。一つの鎮魂や。

・人生は波のようなもの。

・死は復活である。目覚めて起きるのと同じや。現界は宿屋で寝ている様なもの。寝て(練って)いたらよいのや。

・どんな時処位にあっても、心ゆったり処すのが信仰や。小さな事に心乱すのは浅い。良くなったら油断するなの戒めと心し、悪くなったら注意せよとの戒めと心する式に処せ。色々の事できる。うろうろするのは心浅い。普段から何かと心しているのに、何かが降りかかって来たのなら、これは神様に何かの御都合と心して行ったらよいのじゃ。

・神の綱かけたら放さんと言うのは、想いを掛けたらと言うこと。人の想いは怖い。

・全ては霊の力。働きである。

・信仰とは神の心になり、人よかれの一念に処すことである。人の愛は己中心である。

・人の口は怖い。親しき人にもよく心して行くこと。

・金の使い方をよく心せよ。

・神祭りは心地よい。清々しい。勇ましい。これでサラリとなる。

大谷司完翁 説話 ㉑

・神様が申されるに「皆モヒ患者や」という。注射が要る。教えの取次や躾するにおいては公平である誰彼の差別はない。他人の子も吾が子も、他人の妻も吾が妻も、同一の心とする普遍愛がなくてはならぬ。偏愛ではいかん。

・色々な人、様々な事、これが又一面の人生である。あの人はアア言う人、この人はこう言う人。中立が一番じゃ。色々言うのは癖であり、全てその人の都合で発している。介性なしや。縛られたら仕事出来ん。私は私の自由でサッサッと処して行くのみ。唯その人が可哀想だから助言しているに過ぎない。

・心だけは大いに別天地に生きているよ。

・当たり前のことは思っておらん。二万や三万の人を相手に生きようと思っておらん。

・救いは千差万別である。その人らしく、その家らしく。幸福方針を立て計って行く。辱い限りである。

・気長に行く。怒ったら朗らかにならん。全ては気持ちの持ちよう。善本位なら何でも良い。

・指導とは、その人の魂を引き出す魂と魂の結び合いである。それには情操教育が第一。

・神は心の動きを見ている。すべては心の現れである。

・第一に、神にお願いし抜く心の強さ。第二に如何なる人とも和する心の強さ。第三に、信念を貫いてゆく心の強さ。

雄大なる経綸である心大きく持つこと。

・何事も実地が一番力がつく。

・感心とは惚れることであるり、感心すると霊が来る。好むと心の中に霊が入り込む。一直な心の人、更に戒心を要す。

・霊とは思いである。思いはいつか行う。神を信じない一切のものは下に見るべき。恐れるものは何も無し。腹を決めてそして形式事は一通り味ようやってゆく。

・信念の力。神は善悪に依り罰を当てるものに非ず。仇さえ守るのに、一心になってる者に一寸のことで罰するなんて何故するか必ず守る。

大谷司完翁 説話 ⑳

・徳なき者は外分工作してもあかん。恐ろしい理なり。

・夫婦は一心一体。男は智恵・女は愛情。因縁がなくてはならん。

・穢れ・・・気が枯れること、しなびること。

・罪・・・包み隠すこと。悩むこと。

・現界にては現界の道を正しく踏むこと。

・私は弱いが、行く処まで行くと強くなる。

・生きる力を持つ、これ信、惟神の道。

・神の守りなくば、全てが上手く行かない。神が陰より守り、塗り潰してくださればこそ、かくべき恥もかかずに行けたとなるのである。全ては神の守りである。あまりに判らん時は神が変えられる時がある。そうなると、これ迄の様になるわけに行かず、思わぬ事が起こってくる。個人も世界も同一である。でないと目が覚めぬ。

・昔に帰れと叫ぶが、中途の昔位では駄目である。太古の神の代に帰らなくてはならぬ。

・余程腹を据えて御魂を磨いていなくてはならぬ。

・又一人一人に天使をお付けになって、御魂磨きをさせておられる。皆忘れている。心の世界を見たら人を笑えぬ。

・全ての物事を成す動機が大切である。例えば家を建てるにしても、第一に神様に住んで頂くのを心して設計し建てる。その心の動機がこの大善に基づき計るなら何をしても良い。

・御魂磨きと言えば、机の前で本を読む事と心得ている人あるが違う。本ある人は特別であって大体供出するべきをしない、米の様な存在である。本が無いのが本当。実地に勉強が第一本位。何遍読んだと言うより実地にやって悟る。神心を練る、鍛える。本を見ると色々神々がこうやっている。そして行く処迄ゆき、こう悟ってこうなった、こうしたらこうなったと言う事がある。しかし、暇があるのに口を開けて寝ているのもどうかと思う。大いに本を頂くべきである。