神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

大谷司完師説話集 ①

八坂良太郎氏は、滋賀県今津町の人である。

昭和34年頃より大谷司完師との出会いがあり、大谷司完師の説話集を数冊のノートに記録されている。              

平成14年3月9日84歳にて死去されました。

司完師の説話は三冊のノートに記入されて在り、ここに記するものは、このノートより転記されたものである。

大谷司完翁 説話 ㊱

・事に処して、思わぬ時処位に当たらしめられたら、自分はこれしか力なく、修行もこれ位と思っていたら、こんな時処位にぶつかった。という事は、神が更に大いなる使命を与え給うらしい。有り難いことやと心していくべきである。必ず救われるものである。

・全て忍ぶ事である。忍ぶ処に力が備わり必ず良くなるのである。

・神界の行事をして、餅つきは、誠に尊厳な行事となっている。全国的に選ばれた青年女子が奉仕する。霊況をみせられる。

・神界は、意思を如何にして実践するかという事に苦心する処である。即ち、浄らかなもの、美しいもの、心をどうしてあらわさんかと心する処である。

・人の批判などは天国にない。絶対である。精霊には相当ピリットきている。獣に落ちている人にはピリッとも何もない。

・間違った全ての事は、自然力を失っていく。全てはその現れである。

大谷司完翁 説話 ㉟

・流行病は亡者の仕業である。

・ヤミの話をしていると、取締りの人を感じる様に、良い話には、良い神即ち天使が来る。

・道を伝える者は、大体病治しでないのである。道を説く役である。病はひとりでに治る力を各自に持っているのである。

・火事でも浄めである。

・益々激しい時である。どんな事にあっても、魂を信に置いてうろつかず、泰然自若として処すべきである。

・取り越し、過ぎ越し、又、世事に執らわれているのは信仰心がないからである。

・大体入信十年目にして不退転と言う。少々の事では人に左右されない境地。二十年にして大歓喜の境に入るべきである。

・一人者の家の霊祭は淋しい。一人は格別な場合のみ、やはり夫婦揃うべきである。夫が何かで曇ったら、妻が心和めてやる。妻の曇りは夫が祓う。お互い助け合うようになっている。やはり、一人法師は中々である。指導者に身も心も任せて一心に行じてゆくべきである。

・生活の事に心執らわれていると、一辺に天から地へと霊が落ちる。

大谷司完翁 説話 ㉞

・夫婦が神心になっていると、子供が違ってくる。だから、神業奉仕とは、毎日毎日の事である。何月何日何時に来るとか、神と名のつく人からの仕事が、神業奉仕と受け取っている人は心が狭い。

・今の世、直結して命令させられている事を至誠心でやっている。人が何と言おうと、良心に基づきコツコツやっている事が、本心本当の神業であり、奉仕であり御魂磨きである。何時でも何処でも会社でも同じ事である。至誠心でやっている時、神が守るものである。

・モヤモヤ思い、サラリとしない心持ちが仏教思想というものである。

・ある時霊界に連れて行かれた。野原の様な処である。立て札があり、自分の刀がこの辺りあると書いてある。待合室の様な処があり、その刀が置いてある。

それを差そうとすると「オイオイ、その刀を如何にするのか?」と言う。「私の刀があると表札に書いてあった。探してみると此処にあったから差した。」と答えた。すると「それはあまりにも我儘すぎるぞ。刀を差すのなら差せる様に人格を作れ。それ迄、私が番をしているからその時に取りに来い。」と言う。

これはあかんと思い、少し行くと、兵隊が一人の指導者の命を、その通りに行動している。ハァー、これは命令というものは、あの様に素直に聞いてこそ訓練できるのだ、という事を悟った。

その後、この夢での悟りを心し、よく順序を守って奉仕していた。

すると、四十日目に又、霊界に連れて行かれた。以前と同じ場所で、あの時の人が守っていた。その人が「割に早く取りにきたなぁ」と言う。刀には名前がつけてあった。

それから霊界において刀を貰いたいというので、大意にやっていると、又々、霊界に連れて行かれた。

川の流れをみていると、刀がニューと鼻先に突き出てくる。刀を差していたなと気づく。そして川の流れを見る。

その時ハッと気づいた事は、近頃自分は刀を振り回してこだわっていた事を悟った。

大谷司完翁 説話 ㉝

・人は良心の叫びに三ヶ月従ったら変わっくてくる。必ず良くなる。

・足元から鳥がたつこともある。然し、魂を宙に飛ばしてはならぬ。

恐怖の為何とかせん事にはあかん等と、慌てて魂を放してしまう。益々心を静め、よく思考し、静慮して、本心の叫びに従い行かねばならぬ。

・人生を深く考える。人は大抵なら、来たまま従うのが惟神なりとパッパッとやる。惟神、惟神と言ってはいるが違う。己に合し、道に照らしてこれは違うとなったら、パンと、人が何と言おうともやらぬ様にして行く。

昔の偉い人は、この魂を鎮めることを懸命になった。ダルマでも生老病死、この事を解らずして人を救うなど出来るものかと、己れの心を練り鍛えた。そうしてから人に道を説いたのである。

・死んだ人は、私は死んでいないとよく思っている。それ程、顕幽は一致である。霊視は一如である。霊界を見ると如何に信仰が尊いものか解る。

・都会を歩くと、黒い台風、強い台風が通るのを感じる。人の家でも、ああこの家に行ったら何となく嫌な気分がしたと思っったら、争った後であったと言うことがある。

・一家にもその家の心が電気となっている。それがついに霊的となり、家の袋戸とか隅に住む様になる。又その家の主人や妻の中に住む。そこで色々の事が起こるのである。こうなると「吾れ悪霊と共に在り」という事になる。なるべくは「吾れ神と共に在り」といきたい。

大谷司完翁 説話 ㉜

・一人一人は役者である。一人芝居打つのである。心広く太く融通利く人になれ。

・天命のままに(本心の囁き、正義心)処さんと思っている。

・油断せず己に厳しく(いくら厳しくてもよい)人に温かく、思いやりで行け。これで愛善に叶っている。

・私は霊的を通して、惟神の道を踏みゆくのである。

・人の本当の宝は子孫である。永遠の鎖である。本当に苦労してもその甲斐あるのは子の為である。

・心磨きのみ許される道、唯一の方法なのである。ここに基準をおいてやっている。

・ヒョコヒョコと子の授かる人、有難き極みである。

・私にもこんな善い子がよくも授かり出て来たなあ、と思うような事があったら、先祖の罪が許されたのである。これで何も言うことはない。

・妻は主人に従い向上していっている。

・朝早く起きる事のできる環境、そのままが恵みである。天地へのお仕えが出来、また意思鍛えられる。

・仕事を会社をただ単に金によって左右するな。そのままの生活に順応して行く事である。

・仕事を金に売るな。その事その為にこれを成す、という心。その至誠心でやり通せ。然して、その世界においてなくてはならぬ人になる。位はひとりでについてくる。金も又然りである。いよいよの時にあれは偉い人や、あれはあかんと徳が決まる。これが恐ろしいのである。焦くる人は必ずあかんのが不思議である。

大谷司完翁 説話 ㉛

・心の作用如何は、本来自由自在である。何にもないのである。

・畏まっている人より、横着者ながら心太く度強い奴は、「こいつ、面白い使いものになる」という事になる。こちらは罪罰本来なしの心理を知っているからである。

・身をこの現世において、心だけ磨くということは中々である。一遍や二遍生まれ替わらん事には磨けんのである。

・神は一度は死ぬように人間を造られているのである。御魂磨きを本当にするなら死んだらよいのである。

・それを吾々は、身は現界のこの生活に置いて、心のみを攻めて五千年前に返そうとしているのである。これがすなわち御魂磨きである。それには一つ圧力が要る。それが指導である。

・指導には教育的と実力的とある。

・習って依存せず、又食い逃げせずにいくべきである。そこで甘酒の中にイモリの黒焼きを入れてある。師に対し、煮て食おうと焼いて食おうと勝手にせよという心は、その黒焼きを呑んでいるのである。

・本来一人一人、吾れ神の子なりによりて、その力を捧げ仕え奉るが真の信仰。

・指導を完全に受けるには、惚れ抜いて真似て行くこと。そうすればいつの間にやら似てくる。

・私は人生を長く扱っている。神経を少々の事に使わない。損をするのでのんびりやっている。